青春を捧げた推しと、それからのこと

推しを降りた。たった数ヶ月前のことだ。

誰かを一途に追うことに懲りてしまった、というか若手俳優というジャンルへの疲弊を感じた。

この人にはもう未来がないな、という感じで怒り半分、呆れ半分で降りたので、そこまで未練が残ることは無かった。未だにツイッター覗きに行ったりするけど。



そんな彼を応援していたのはたった2年だけど、されど2年、という感じである。限りある大学生生活の半分を捧げたものだった。社会人になった今、その重みを徐々に実感しつつある。

その大きな要因として挙げられるのが、恋愛である。



たった数年前、数ヶ月前を振り返る。もしかしたら「普通に」生きて、バカみたいに掛け持ちしていたバイトもそこそこにサークルに行って、彼氏を作って、そんな学生時代だったかもしれない。

それを選ばなかったことに対する後悔はないけれど、普通の恋愛に直面しかけている今、自分の経験の浅さがもどかしい。




オキニの座も、推しと話すチャンスも、青春時代に私が経験してきた「疑似恋愛のようなもの」は、大方お金で解決できるものだった。(私はオキニどころか認知すらなかったけど、あくまで一例で)


それが、今はどうだろう。何よりも欲しい好きな人の連絡先は、お金で買えるものじゃない。バレなければ彼女がいても目を瞑るとか、そんなことも正直できない。何もかも違う。

だからこそ今までの経験はあくまで「推し事」で、少なくとも私はリアコではなかったのだろう、とも思う。



まさか自分が普通に恋をして、どうやって声をかけたら良いんだろうなんて悩んで、そんな風になるとは思っていなかった。というのも恥ずかしい話なのだけれど、それほどには推しのことしか見えていなかった。板の上で泥臭くも輝く推しを見つめて、たまに近くで話をできるだけで、全て報われた気になった。(なんだかんだ最後の方は病んでたけど)





青春を捧げた推しは、いまや見る影もない。


応援をすっぱり辞めて一歩前に踏み出せたかと思った私自身も、もしかしたら彼と同じように没落しつつあるのかもしれない、なんて感傷に浸る。